脱出せよ!
先程から非常用の赤い警告灯が不穏な点滅を繰り返し、緊急事態を告げる警報がけたたましく鳴り響いていた。
「皆さん、こちらです! 早く!」
まだ若い一等航海士が乗船客たちを促した。
超豪華宇宙客船ヱリザベス号に搭乗した上流階級の人々は、まだ事態の深刻さを呑み込めていないのか、いささか動きが緩慢だった。せっかくの船内パーティを中断されたせいかもしれない。
にもかかわらず、一等航海士は、それを辛抱強く誘導した。船内においては乗船客全員の安全を守る――それが今の彼に課せられた使命だ。
受け持ちの乗船客十二名が、ようやく脱出ポッドの搭乗口がある避難ブロックまで辿り着いた。
「いいですか、皆さん! よく聞いてください! 今から十五分ほど前、本船は航路上を漂っていたスペース・デプリに衝突し、航行不能となってしまいました! このままでは恒星の引力に引かれて、遅かれ早かれ、本船はおしまいです!」
一等航海士から説明を聞き、ようやく乗船客たちは自分たちが沈みゆく船に乗っているのだと気がついた。恐怖に怯え、パニックに陥る者、乗組員は何をやっていたんだ、となじる者が現れる。そんな場合ではないというのに。
しかし、一等航海士は落ち着いて、しかもハッキリとした口調で言葉を継いだ。
「ご心配には及びません! 本船には緊急用の脱出ポッドがあります! 脱出ポッドはすべてコンピューター制御で動き、約一週間の生存を保証してくれます! 皆さんはこれに乗って脱出してください! すでにスペース・レスキュー隊にはSOSを出していますので、脱出ポッドから発信される救難信号をキャッチして、必ずや皆さんを救出してくれるはずです!」
一等航海士が話し終わる前に、乗船客たちは脱出ポッドに殺到していた。自分だけは助かろうと、醜いエゴ丸出しで先を争う。
「慌てないで! このブロックにある脱出ポッドは十二機! ちゃんと人数分あります! 皆さん、それぞれの搭乗口から乗り込んでください!」
一等航海士が言うように、確かに脱出ポッドは十二機が用意されていた。いつでも射出できるようスタンバイされている。皆、一様に安心し、乗り込もうとした。
そのとき、
「待って!」
乗船客の一人である少女が声をあげた。表情は青ざめているが、大人になったらさぞや美しく聡明な女性になるだろう。その少女は若き一等航海士を見つめた。
「人数分って……あなたのは? あなたの脱出ポッドはないの?」
脱出ポッドは全部で十二機。一方、ここにいるのは乗船客十二名と一等航海士で計十三名――
一瞬、場が凍りついたようになった。
しかし、不安げな瞳で見上げる少女に、一等航海士は優しく微笑んだ。
「ありがとう、小さなレディ。ですが、ここにある脱出ポッドはお客様のために用意されたもの。乗組員である私が乗るわけにはいきません。それに、乗組員の脱出ポッドは別のブロックにあります。私は皆さんが脱出したのを見届けてからそちらへ向かいますので、どうか安心してください」
「本当に……?」
少女は一等航海士がウソを言っていると思ったようだった。自分たちを救うために。
だが、一等航海士は少女に向けた微笑みを消さなかった。
「ええ、大丈夫です。無事、スペース・レスキュー隊に助け出されたら、またお会いしましょう」
「約束よ」
「はい、約束です」
一等航海士はうなずいて見せた。
すでに別のブロックからは、次々と脱出ポッドが射出されていた。きっと同じように他の乗組員によって誘導された乗船客たちに違いない。少女を除く乗船客たちは、自分たちも早く脱出しないと、と焦った。
「さあ、早く乗ってください。衝突のダメージで、どこまで船体が持つのか分かりません」
一等航海士は最後のダメを押した。
乗船客たちは潜り込むようにして脱出ポッドへ乗り込んだ。それでも少女は一等航海士を振り返りながら逡巡している。
「さあ、あなたも」
一等航海士は少女の背中を押すと、搭乗口のシャッターを閉めた。
シャッターが閉じられると、脱出ポッドは自動的に発射される仕組みになっていた。あちこちからポッドが射出される音が断続的に聞こえる。
一等航海士がシャッターの小窓から船外を覗くと、一人乗りの小さな脱出ポッドはアッという間に遠ざかり、見えなくなってしまう。この避難ブロックから射出された十二機すべてが漆黒の宇宙空間へ吸い込まれるように消えた。
「これでいい」
乗船客たちの脱出を見届けた一等航海士は、満ち足りたような表情で呟いた。決して顔には出していなかったが、張りつめていた緊張がようやく解ける。
「やれやれ。やっと退船してくれたか。『乗組員は乗船客よりも早く退船してはならない』なんて規則さえなければ、とっくに逃げることが出来たのに。にしても、あの小さなレディには参ったな。あんな整備点検もロクにしてなかった中古ポッドで脱出したら、助かるどころか、自殺行為も同然だというのに」
とりあえず乗組員として、必要最低限の責務は果たした。人間にとって過酷な環境でしかない宇宙空間において、脱出した乗船客が助かるかどうかは、彼らの運次第だ。
「さて、と」
自分だけは安全で整備点検も完璧な最新型ポッドに乗って脱出すべく、一等航海士は乗組員用避難ブロックへと急いだ。